残留した痛覚を共有することはできない

 俺の痛みは俺のものだ。誰にも触れてほしくない。最近強くそう思う。

 人間は自分の経験の範囲内でしか、他者の感情を慮んばかることは出来ないと思っていて、それが僕が完璧な相互理解など夢物語でしかないと考える所以なのだけれど、きっとそう思ってない人も中にはいて、その在り方は美しいものだけれどレプリカが美しいようにきっと欺瞞にしかすぎない。

 

共感してほしいわけではない

 例えば、僕が酷くショッキングな出来事に見舞われたとして、大抵の人は優しい言葉をかけてくれるだろう。それは本心であれ、偽善であれ有り難いことだと思う。しかし稀に、僕の心象にずかすがと土足で踏み込んできて知った顔で何かを宣う輩がいる。そういうのに僕は我慢ならない。

 男女で区別をするのは趣味ではないが、女性はただ話を聞いて共感してほしいだけという人が一定数いるらしい。僕は上っ面の慰めの言葉なんて欲しくないし、寄り添って欲しいわけでもない。勝手に一人で立ち直るから出来れば放って置いてほしい。まぁ、たまに一人で立てなくなる時はあるが、それでも共感を求めているわけではない。

 

 格好つけた言葉で書いていたせいか、結局どういうことか分かりにくくなってしまった気がするので、簡潔にまとめると、ある程度のラインを踏み越えて優しくされたいわけではないと言うことだと思う。

 俺の痛みは俺だけのものだし、君の痛みは君だけのものだ。そのラインというのは、人との関係性だったり、ショックの大きさだったりで変わって来るだろうから難しいところではあるのだけれど。

 そういう愚痴だ。もう引き摺ってはいないが、そのうちまた、傷つくこともあるだろうという備忘録のようなものとしてここに残しておく。