ジェンダーロールの押し付けと多様性

 ちょっとTwitterにも書いたんだけど、最近Twitterで女性が女性らしくあれって押し付けが鬱陶しいという声を頻繁に見かける気がする。それはたまたま僕のタイムラインでそういう話題に興味を持つ人が女性に多いからなのか、男性のそういう声は少ないからなのかはわからないけれど、男も大変です! という声はクソリプとして淘汰されがちな印象を受ける。

 別に女性が大変であるということを否定するつもりは一切ないのだけれど、女性の待遇改善ばかりを求めていても根本的に正しい世の中にはならないのではないかと思ったので、少し個人的な考えをまとめておく。

 基本的にはTwitterで書いたことの補足でしかないし、数値的なデータを用いて書こうとも思っていないので、例によって役にはたたないかもしれないであろうことを明言しておく。

 

社会性とジェンダーロール

 男(もしくは女)はこうあるべき、と言った社会においての役割らしきものをジェンダーロールと言うらしい。例えば、「男だからめそめそしない」や「女だからおしとやかにする」と言ったものがこれにあたる(Wikipediaより)。

 別に僕自身としてはそれに異論を唱えるつもりはない。俗に言う「男らしい男」というのはかっこいいと思うし、まぁそれなりに憧れはある。

 問題はそれを他者に押し付けてしまう点にある。根本的に誰がどういきようが自由だと僕は思っているし、他人を否定する権利だなんて誰も有してはいない。にもかかわらず、ジェンダーロールを強制されることが多いのは、それが所謂社会性に基づいたロールプレイだからではなかろうか。

 話は飛躍するが、古来より狩りは男、家事は女という図式が連面と続いてきた。まぁ最近は喜ばしいことに、女性の社会進出も増えてきては要るが、少し前までは専業主婦というのが当たり前のことだっただろう。男はそういう女性を求めていただろうし、女性はそうある方が得だったのだ。

 つまり、本来は「そうあるべき」ものではなく、「その方が得をする」ものだったのがジェンダーロールだと考えるのは飛躍しすぎだろうか。それが当たり前になってくると、今度はそうでないものに違和感を覚える。これが所謂ジェンダーロールの押し付けの根源的な発生源ではないかと考える。

 

令和を生きる僕たち

 しかし、ここで問題が発生する。これまではそれで良かったかもしれない(実際不便に思っていた人はいたと思う)が、既に述べたように近年においては、技術革新や人権や結婚に関する意識の変革、経済状況の変化(これは特に日本で顕著かもしれないが)によって、女性の社会進出が進むにつれ、本来得をするためだったものが邪魔に感じるようになるのだ。

 これが間違った事だとは思わない。既存の価値観にとらわれ続けることほど馬鹿らしいことはないと思うし、世間が変わるなら価値観もアップデートされるべきものだと思う。

 旧時代的な考えは捨てて、前に進むべきだ。

 

だからこそ生きづらい

 さて、長くなったがここまでは前置きのようなものだ。でもあとちょっとで終わるから安心してほしい。

 前述したような不自由さをうけて、女性がTwitterで怒りの声をあげているのを最近よく見かける。それ自体は正しい行為だとは思う(解決に繋がるかはともかくとして)が、冒頭でも述べたように、過度な男性に対するヘイトや、男は楽で良いよな。といった意見もチラホラ混ざっているのが見受けられる。

 それはちょっとどうなの? っていうのが今回一番言いたかった話。

 

 余談になるかもしれないが、僕は完全な男女平等ってのはマジで理想論にしか過ぎなくて、完璧な形での実現は不可能だと思っている。だってそうだろう。外見も違えば内面も違うし、誤解を恐れずに言えば、男性の方が物理的に、女性の方が精神的には強く出来ている。これがあっているのかは別として、とにかく別の機能を有する生命体同士なのだ。それが完璧に同じ権利を持って生きて行くって言うのは何処かで歪みを生じさせると思う。だから、お互いに尊重しあって足りない部分を政治や制度で補足するのが正しい在りかたではないだろうか。これを男女平等って言うなら僕は諸手を挙げて賛成する。

 閑話休題

 

 個人的な意見を言わせて貰えば、男として生きるのは無茶苦茶楽です。男らしくあれっていうジェンダーロールの押し付けも僕は全く苦じゃないので。その辺に関しては女の人って大変そうだなって思います。

 でも、みんながみんな僕みたいな考え方じゃないと思う。めそめそするな! ってしかられて辛い思いをしてきた男の人も絶対いるだろう。発想が貧困でうまい例が思い付かないが、とにかく女性と同様にジェンダーロールの押し付けによって悔しい思いをしてきた男性も絶対に一定数いるのだ。

 それをいや、こっちの方が辛いから! と否定する権利は誰も持たない。その人の痛みはその人だけのものだ。

 だから、たまに男対女の構図になってるのを見ると馬鹿らしく思うんですよね。僕らがこれからの時代にやることは、対立ではなく、お互いを認めあって多様性を許容していくことにあると思うのだ。