2020年からこの先10年の野望を考える

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 去年に引き続き大晦日を友人と過ごし、長勝寺なるお寺で除夜の鐘をつき、蕎麦アレルギーなのに年越し蕎麦をすすり、初詣から帰ってきて飲み明かした半徹の朝。やっぱり同じように家族と熊本で合流するためにバスに揺られている。暇である。

 折角なので、今年の抱負でも、と思ったがそれは昨日書いてしまった。丁度きりよく2020年なので、今後10年の目標というか野望みたいなものを考えてみようと思った次第である。僕の敬愛する田淵智也先生もUNISON SQUARE GARDENの現在地は十年前に想像していた通りの位置にいるとなにかで仰っていた。十年後、そう言えたら格好いいじゃない?

 

まだ何者にもならないことを選択した僕は何者かになれるのか

 とは言え、僕の未来は真っ暗、と言うと語弊があるかもしれないが、五里霧中である。全くどうなるか予想がつかないので、こうなっていたらいいなというのを書く。だからタイトルは野望にした。

 何度も言うが、このまま就活していれば、ほぼ間違いなくエンジニアという存在価値を見出だせていただろうが、僕が進む道はこれまで歩んできた道からは全く見通しが効かない。ファッションデザイナーに果たしてなることが出来るのか、そもそも僕は服飾の世界に向いているのか、どれくらい難しい事なのか、何一つわからない。

 しかし、もう進学は決まっているので取り敢えず三年は学生をする。その後数年ブランドで働いて、十年後には独立して経営を軌道にのせられて居れば最善だと思う。まったく難易度の予測がつかないので、ざっくりとした目標しか掲げられないが、取り敢えず東京コレクションに出られるようになりたい。なかなか無謀で強気だが、只でさえ出遅れているのだから、時間的余裕はない。

 

 後は何だろう。やっぱり十年後も音楽を続けられていれば最善だ。自費でも構わないので誰かの心をぶち抜くようなアルバムを一枚は作りたい。音楽を主戦場として生きていくようには恐らくならないだろうが、音楽をやめてしまった自分を見たくはない。 

 

 上記の二つはなにかを創造するという点で共通しており、僕のなかでは複雑に要素が絡まりあっている。それがパンクであったり、モードであったりするのだけれど、根幹としてアバンギャルドな姿勢を保ち続けて欲しい。悔しいという気持ちを、嫉妬を、蔑みを、執念を十年後にも燃やし続けていて欲しい。今よりも創造力が広がっていても、燃料がなければなにも産み出せない。僕はネガティブな感情の方が原動力になる人間なので、常に満たされないでいてくれ。それは生きにくいかもしれないけれど、そうでないと生きているとは言えないと思うから。

 

 そして願わくば、十年後も今現在心のそこから友達と呼べるような人たちと仲良くしていたいものだ。