工学の徒を辞して服飾の道へ至る【後編】

大学生は理性のない猿だ

 そんなこんなで僕の大学ライフが始まった。少し心配していたが、あっさり学科にもサークルにも馴染むことが出来、比較的充実した私生活を送っていたが、進路についてはあまり決まっていなかった。就職は既に考えていなかったはずだが、進学するにしても行きたいところがなかった。大学院から音響設計をするのも少し違う気がしたし、大分大学の院にはあまり魅力を感じなかった。九州大学の大学院と言うのも考えていたように思う。

 いっそのことバンドマンを目指そうかとも思ったが、新天地大分ではコネクションが無さすぎて難しいことがわかった。この先も住むならまだしも、二年しかない状態ではなかなか難しかった。いや、認めるのは業腹だけれどそんな勇気が無かっただけかもしれない。

 その頃からだろうか、目を輝かせて服のことを話す僕に、母親や仲良くなった服好きの先輩が専門学校に行けばいいんじゃないかと勧めてくれるようになったのは。一体いつ頃僕が服飾系の学校にいきたいと言えるようになったのかは忘れてしまったが、周囲の人間にボチボチ話し出したのは大学三年生の夏か秋ごろだったように思う。だが、その頃は口に出せば出すほど退路をたたれるような感覚があったので、おそらくは自分でもまだ自信が持てないでいた。

 漸く確信をもって公言できるようになったのは、父親に進路はどうするのかと聞かれたあとからだったはずだ。

 今年の一月あたりから僕は服飾の道に進むことをハッキリと決意し、資料請求やオープンキャンパスへ向ったりし始めた。

 工学を辞した理由はあげようと思えば幾らでも挙げられる。例えば前編でも書いた通り、そもそも機械工学という分野に心血を捧げるほどの情熱が持てなかったこと。バイトでならともかくルーチンワークのような仕事につくことが向いてないなと思ったこと。あまり興味のない分野で一生生きていくことに堪えられそうになかったからなどだ。

 しかし、一番の理由としては大学生に絶望したからだと思う。腹が立ったと言い換えても良い。全ての大学生がそうである等と言うつもりはないが、目先の快楽に溺れ、将来のことをまともに考えもせず、別に大して興味はないけど先生が言っていたし大学院に行っておこうか、若しくはもう勉強したくないし、とりあえずどこでも良いから給料よさげなところに推薦で就職してしまおうと言った目的意識の欠片もない怠惰な大学生共に嫌気が差した。

 それが悪いとは言わない。それぞれの生き方があると思うし、早く結婚して幸せな家庭を気づくことが目標であっても僕は全く構わない。でも全員が全員そんな考えでなくても良いではないか。この先の人生の少なくとも半分の時間を費やす場所をそんなになぁなぁで決めてしまってもいいのか。二十歳を超えても特にやりたいことがない人生ってなんなんだ。お前らの人生はそんなに薄っぺらいものだったのかよ。まぁ、でも多分。そうなんだろう。

 思い出を美化しているだけなら申し訳ないが、少なくとも高専生は将来こうなりたいという明確な意志を持った学生が多かったように思う。僕は高専生が嫌いだが、その点は評価できる。勿論全員が全員ではなかったが。少なくとも彼らは、十五歳の時点で一応選択を終えているのだから。

 事実、高専では下から真ん中辺りを低空飛行していた僕の成績は、大学でも同様に一夜漬けしか行わなかったにも関わらず、編入当初から上位だった。それが逆にガッカリした。だから、もう良いやと思ったのだ。

 進学すれば勿論素晴らしい仲間に出会えたかもしれない。就職してもとても楽しい仕事につけたかもしれないが、工学でやりたいことが無かったし、それを探すほどの熱意もなかった。

 

 と、言う風に書いてしまえば僕が凄くネガティブな理由から進路変更をしたように勘違いされてしまう恐れがあるのでポジティブな理由も挙げておこうと思う。

 まず前提条件として僕は服が大好きだ。モードであれば、そこに籠るデザイナーの熱意が想いが好きだし、着る人の覚悟が好きだ。ワークテイストの服だって機能性に特化した美しさと着続けることによって出てくるその人独特の味が好きだ。音楽と、それによって生まれたカルチャーと、もしくはカルチャーによって生まれた音楽と密接に関わるファッションが好きだ。DIYでスタッズを埋め込んだパンクロッカーが、ピタピタのスラックスに三つボタンのジャケットの上にはおったM-51を着たモッズが、Tシャツの袖を切って乳首が見えるくらいのタンクトップにしてしまうラウドロッカー達が好きだ。

 トレンチコートのエポレットやDカンやジーンズのチェンジボタン、テーラードジャケットのチェンジポケットなどの形骸化してしまっているデザインを愛している。

 作るのに向いているかは解らないが、興味があるのに行動せずに後からやっておけば良かったと悩むのが絶対に嫌だった。だから取り敢えずやってみようと思った次第だ。バンドも平行してやりたいと思っている。例えそれで忙殺されても、音楽が出来ないなら死んでいるのと一緒だ。

 大学における僕の指導教員は無茶苦茶に口が悪いが、多分途轍もなく良い先生で学生のことを凄く考えてくれている。僕が進路を決めてからは会うたびにお前大丈夫なのか、食っていけねえぞ。などと嘲笑するかのような口調で責め立ててくるが、きっと心配してくれているのだと思う。そんな先生とこの間駅でばったりお会いしたときに奴は「お前まだ本気出してないだろ」などと宣った。

 それを認めてしまうと言い訳やイキってるみたいで厭だが、勉強を真面目にせず、テストも前日しか勉強しない奴はどう考えても本気ではないだろう。もしかしたら自分でも気が付かないうちに、そこが僕の臨界点になってしまっている恐れもあるけれど。

 宜しい。血反吐を吐くほど努力してやろうじゃないかと思う。折角学んできた工学を捨ててまで服飾の道に進むのだ。そもそもそれくらいの覚悟でなければ意味はない。

 

誰の邪魔もしないから、誰も俺の邪魔をするな

 ここまで随所にやりたいことではなかっただの、言い訳じみたことを書いてきたが、それはすべて僕の怠慢によるものだし、辿ってきた道に後悔はない。僕はいまの自分が好きだし、仮に少しでも違う道を進んでいれば、それはもう、僕ではないだろうから。

 これまで僕は最高でも最低でもなく最低限の目的は達成してるが最善ではない。くらいの選択肢を選んできたが、今回の文化服装学院は最高最善のお膳立てをした。面接だけだったのでたいした努力はしていないが、そこで話した内容は僕が今まで培ってきたものだ(入試難易度が低いことは取り敢えず置いておく)。憧れの山本耀司と同じ学校、日本の服飾系における最高学府。これでなにもできないのなら言い訳のしようもないくらい僕自信の責任だ。

 俺は将来的には独立してブランドを立ち上げたいと思っている。見た人の価値観を覆すような服を、着た人の人生を狂わすような服を作りたい。そうして世界を変えたと胸を張ってみたい。文学でも音楽でも変わらない世界を、果たして服によって変えられるのかどうかは甚だ疑問ではあるが。

 父親はよく「一生に一回くらいは死ぬ気でやらなきゃいけないときがある」と言っていた。俺にはまだそれがない。