スマホの普及と弊害と老害

 ここ数年、電車に乗るといつも異様な光景に出くわすようになった。横一列に座席に座った全員がスマートフォンを見つめているのだ。まぁ、そういう僕も今この記事を電車のなかで書いているので、その光景の一部なわけだが。しかし、一歩引いて客観的に見てみると、なかなか奇妙な光景ではないだろうか? 流石に全員とまではいかなくても、乗客のほとんどが目の前の薄い端末に目を落としているのだ。なんともまぁSF的ではないだろうか。小型デバイスによって知らず知らずに行動を制御されていく人間というのは、ディストピア的で僕のようなSF好きはなんだかニヤニヤしてしまう。

 ともあれ、僕は別に電車内のスマホに苦言を呈したいわけではない。シンギュラリティ以降ならともかく、現代においては問題があったとしても目が悪くなる程度のものだろう。しかし、僕らの親より上の世代はそういった光景に、なにやら違和感や嫌悪感に近いものを感じてしまう人もいるようなのだ。

 では、そういった人が電車内で何をしているのかというと、目をつぶっているか、虚空を見つめているか、読書をしているかだと思う。というか今、僕の目の前にそういう人がいる。読書はスマホでも出来るし、それ以外は時間の無駄のようにも思える。

 人類は小型端末の開発によって本来ただ「移動」にのみ消費されるだけだった時間を他の行動にも使えるようになったと考えることはできまいか? 仕事のための情報収集をしておけば、あとでわざわざ調べなくてもいいし、ニュースをみておけば、帰ってからの自由時間が増える。どう考えてもメリットの方が多いように思う。

 僕らは何もスマートフォンに拘束されているわけではない。友達といるなら友達としゃべるし、旅先であるなら外に目も向けよう。眺め飽きた普段と同じ光景から目を離し、Twitterで呟くことの何を責められなければならないのか。

 恐らく結論は出ない。気持ちが悪いものは気持ちが悪いのだ。きっと相互理解は難しいだろう。

 少し目がつかれた。今回は、いるかもわからない仮想の敵に向かっての反論だったので、一人相撲になっているだけの無意味な内容だったかもしれないのでこの辺で筆を置こうと思う。今僕は普段住んでいる田舎を離れて東京に来ている。別にはじめてきたわけじゃないが、たまには先人に習って窓の外に目を向けてみるのもいいかもしれない。

 

 無論、スマートフォンで音楽は聞くのだが。

https://music.apple.com/jp/album/生きている/1116642989?i=1116643246