消えた一年という世論と僕の主観

 2020年は例のウイルスが猛威を奮っていたので、消えた一年。のように言われることがあると思う。多くの業界が打撃をうけ、店を畳まざるをえなかった人、虚しい学生生活を送らざるをえなかった人、慣れない状況に対応したり(しきれなかった人も)、すべての人が大変だったと思う。

 じゃあ僕自身はどうかと問われると、そんなに苦労もしなかったし、無駄な時間を過ごしたわけでもなかったように思う。幸いにも、僕の周囲でコロナの煽りを受けて生活が困窮したり、重症化してしまった人が居なかったので(同居人は感染したが軽傷ですんだ)、いまいち危機感が足りてないだけなのかもしれないが、比較的充実した一年だった。

 

 去年目標に設定した、「数多くの友達をつくる」と「オリジナルでバンドを始める」ということについても、前者は60%(知り合いは増えたが友達の伸び率はそこまで多くはないので)、後者は80%程度(冬に入りかけてから、すごくいいギタリストを見つけたので一気に挽回した)で達成できたので概ね問題ないだろう。サブクエスト的になにか服の賞にも応募したかったが、現状の実力では賞は難しいだろうとおもったので来年以降に回すことにした。

 いい一年だったとおもう。考えないといけないことも増えたので、それで少し最近は気分が落ちていたけれど。

 

 本当は今年の空気感をもう少し残したくて、ダラダラと書きたいのだけれど、あと一時間で今年が終わってしまうし、僕はダラダラかくと途中で違うことをしたくなるので、この辺でやめておこうと思う。それに(悲しいことに)コロナウイルスの脅威はまだ去ったわけではないのだから、まだ振り替えるのは早い気もする。

 来年は、コロナが少しは終息してほしいという願いも込めて「オリジナルのバンドでライブをする」ということと、夢に向かって歩を進めるために「作った服でポップアップを開く」ということを定めようと思う。本当はブランドの立ち上げくらいを宣言したいが、何せお金がない。夢とは関係ないが、今年の九月程からアシスタントをさせていただいているブランドの大舞台が三月に控えているのでそれに向かって頑張りたいとも思う。

 

 今年も僕と仲良くしてくれた人や僕のことを好きでいてくれた人にありがとうと言いたい。僕も同じだけなにかを返せているといいなと思う。今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

 

 いい曲が出来てる。

非線形の日常と不透明な未来

 ブランドをしたい。来年からしたい。いま学校にかよって盲目的に課題をこなすことは確実に未来へと繋がってはいるのだろうけれど、それは線型的ではないよねというお話。

 

住む世界が違う人と交流するということ

 まぁ、正確には住んでいた世界ではあるものの、日本の半数が思い描く普通の、つまりは大学を出てなんとなく就職して家庭を持つルートから、きっとそういう未来を思い描いて来なかった側の人々と関わるようになって半年近くがたつ。前の記事にも軽く書いたような気がするけれど、服飾の、それも文化服装学院なんかに高校を卒業してすぐ来るような人間は、きっとやる気に道溢れていてやりたいことや覚悟が決まっているような人間ばかりで、僕なんて全くついていけないのだろうと思っていたのだけれど、存外そんなことはなかったというのが現時点での所感であるので、考えたことを少しまとめたいと思う。

 大学への進学率は大体50%というのをどこかで聞いたことがあるのだけれど、いままで僕はその半分側、もしくはそれに準ずる高専で学ぶ人々としか関わってこなかった。厳密にはしかということはないのだろうけど、その人の人間性が見えるほど深く関わることはなかったと思う。だからそこの間に横たわる常識の差異を知らなかったのだ。

 

 好きなことを勉強しているはずなのに、ビックリするほど課題をやらなかったり作品を真面目に作らなかったりする同級生の存在に驚かされた。そのくせ口だけは一丁前にでかいので、見ていてモヤモヤするのだが、結構な人数課題を出さなくても平気な顔をしていられる。何でだろうなと思ったときに、彼らはちゃんと勉強をしなくても当たり前に生きていける常識のなかで育ってきたからなのかなとふと思った。

 僕や、去年まで関わってきた人々はきっとそれまで大学に行くことが当たり前の環境で育ってきたので、為すべきことを為さなければ、落ちこぼれの烙印をおされて、ドロップアウトせざるを得なかったんだろうけど、高校を卒業するのがゴールの環境であれば、きっと課題もテストもギリギリでよかったんだろう。善悪ではなく常識の違いとでも言おうか、デッドラインの認識に大きな差違を感じる。

 まぁここまでかいて、過去にも危機感が薄い人は一定数いたことを思い出して、よくわからなくなってきたけど、少なくともここまでの違和感をおぼえることは無かったように思うのでこのまま続ける。

 

でもきっと未来は不透明だ

 そこに気がつかないまま、危機感を覚えないまま、色々な経歴を持つ人々が一緒くたにされる専門学校のような場所にいると、優劣の問題ではなく、やらなきゃと思う人はそうでない人に疑問や苛立ちを覚えるだろうし、やらない人はそうでない人に似たような感情を覚えるのだろう。

 けれども、専門学校というのは所属していれば自動的に望むような未来につれていってくれるエスカレーターではなく、ただやるべきことを与えてくれるだけの修練場のようなものだと言うことを再認識した。

 ただ与えられることのみをこなして行けば線形的に理想の未来にたどり着けるのではなく、自らの目指す地点をしっかりと認識したうえで、そこに向かって行かなくては未来はいつまでたっても不透明なままなのだ。

飲酒という自傷癖

 僕には自傷癖がある。肉体的でなく精神的なものだけれど。

 それは考え方が気に入らないバンドマンのTwitterをあえてフォローしていたり、くだらないコメント欄をワザワザ覗いてみたり、嫌な記憶をあえて鮮明に思い出してみたりする程度のことだ。誰にも迷惑をかけていないけれども、僕はそうやって自分の気に入らないものを視界にいれて居なければ自分の敵がわからなくなってしまうからだと思う。弱くて性格の悪いことことうえないけれど、多分そんな珍しくもないと思う。なんか心理学的にも人ってそういうものらしい。

 

死にたいと思ったことがあるかい?

 僕はある。何回も。

 別にいま思えば大したことじゃないのだけれど、胸に杭を打ち込まれたような幻痛が僕を襲い、気持ちが悪くなる。そういうとき不思議と脳裏に浮かぶのは手首なのだ。したことはないけど。そういう人間が身近にいたからなのか、根底では死にたくないと思っているからなのかはわからないが、まぁリストカットというのは手軽だなと思う。思っていた。

 酒を覚えてからはそういうときは溺れるように酒を飲むようになった。僕は大抵の悩みは一日たてば忘れるので、からだに毒物を流し込み、死んだように眠る。その時になんとなくこのままボロボロになってしまえばいいのに。と思うことがある。それはなんだか遠回しな自殺の様だなとぼんやりと思った次第だ。

 違うときもあるけれど。

二度目のパラダイムシフトと生活

どうもお久しぶりです

 僕は何かしら表現活動をしていないと死んでしまう生き物のようなので、暇潰しと生命維持のためにこのブログを始めたのだが、当初とは大きく状況が変わってしまい、日々を忙しく過ごしていたので更新までに大幅に期間を空けてしまった。

 前の記事にも書いた通り、僕は念願の文化服装学院に進学し、服飾学生としてこれまでの人生で培ってきたなにかしらをミシンや布地に叩きつけていたし、バンドもボロボロではありながらなんとか一曲が完成しそうだしストックもまだ三曲くらいはある。そういうわけで文章も綴りたくはあったのだが、他のもので創作意欲を発散してしまっていたので、なかなか筆を執る気持ちにならなかった次第である。鈍っているようで文章にキレがないように思うが、まぁ誰も読んでいないと思うので気ままに綴ろうと思う。

 何故重い腰をあげたのかというと、なんのことはない。ただ眠れなかっただけのことだ。正直いまは眠気がやって来たので、やめてしまいたい気持ちはあるのだが、折角なので書ける範囲で大きく変わった生活のことでも書こうかと思う。

 

ここは東京、空を食うようにびっしりビルが湧く街

 君が言うような寂しさは感じないけど。

 なんてね。

 東京に対して憧れのようなものは抱いてなかったし、実際住むようになってもいままでの引っ越しとあまり変わらないような気がする。電車が多くて便利だなというくらいだ。なんだか、色んなものが近くにあって密度が高い街だなと思う。人が冷たいとはまだ実感したことはないけれど。

 学校が新宿にあるので僕も新宿付近に住むことにした。名実ともに立派なシティボーイである。大学に居たときに気に入った後輩が居たのでついでに連れてきた。見かけに反して真面目一辺倒な僕とは正反対のような人間で美容師になりたいといって大学を中退してしまったのでちょうど良かったからシェアハウスをしている。

 僕が東京に来たのは五月末だったので四ヶ月近く一緒に住んでいるが、今のところ大きな不満はない。彼の部屋が汚すぎるのと、刹那的にその時やりたいと思ったことをやることで生きているので、几帳面な僕はしょっちゅう腹をたててしまうが、彼は自分の機嫌を取るのが上手いのか滅多に不機嫌にならないので、感情的になりやすい僕とはうまくバランスがとれていると思う。

 生活面に関してはあまり書くことがない。概ね上手くいっていると思う。

 

自分のイメージを形にすること

 服を作るのは曲を作ることや、文章を綴ることとはまた違った難しさがあった。自分の頭のなかにあるぼんやりとしたイメージを絵におこし、理屈にしたがって作図をし、パターンを作り、裁断して、縫製する。でも思ったほど苦労はしなかったのでなんだか嬉しいような、肩透かしを食らったような気分だ。

 作図は工学部時代にくさるほどほどやっていたし、当時からそこそこ早かったと思う。機械製図と服の作図は全然違うけれど、理解してしまえば服の方が書くことは少ないし、個人的にはあまり苦にならないので、クラスでもスピードは常にトップクラスを維持できている。縫製の方も、向いていたのかかなりのスピードで行うことができるし、デザインもクラスで二人しか選ばれないものに選ばれた。展示にはしてもらえなかったのでそこは悔しかったが挽回を狙っていこうと思う。

 そういうわけでなんだか覚悟をしていたのだが、そのわりには全然適応できてしまったので、服を作るのは面白いが歯応えは少し足りない。

 回りの人間についても、やる気に満ち溢れた人ばかりだと思っていたけれど、そうでもなかったり、口だけみたいなやつも一定数いて、なんだかつまらないなと思ってしまった。それについては少し考えたことがあるので、また別で書きたいと思う。

 

根源との対峙

 僕の考え方が凝り固まる原因になった人から久しぶりに連絡があった。詳しくは語らないけれど、僕は一度手痛く裏切られていて、それ以降傷付かないように、自分に自信が持てるように自分と常に向き合ってきたし、その結果いまの性格や生活があり、そしてそれをとても気に入っている。だから少なくとも今は恨んではないし、感謝すらしている。

 そんなに多くは話さなかったけれど、多分初めて謝られた。当時はともかく今は謝罪なんて求めていなかったけれど、何となくそれで誰かの心の蟠りが融けるならいいことだなと思った。別に今さらなにを思うわけでもなかったけれど、勝手に楽しく生きてくれればいいと思う。不幸は俺が引き受けたので。

 

 幸せに何てなりたくないし、独りであることの気軽さを知ってしまったから、一生そうやっていこうと孤高を目指していたのだけれど、そんな僕を無理やり幸せにしてこようとする物好きが最近現れてなんだかビックリしていた。と、思ったらあれよあれよと言う間に半年近くが過ぎて、すっかりその関係性が馴染んでしまったような気がする。いいことだとおもう。多分。

 

 未来のことなんてわからないけれど、出来る限りの事はしていきたいと思った次第だ。生活も服飾もその他も。

バンドを始めます

 環境のせいにして、時間のせいにして逃げてきたけど、もうちょっと言い訳が出来ないのでバンドをいよいよ始めます。

 すごく大きな挫折を経て、そこからずっと音楽をやって来て、音楽に生かされて来て、救われたことはないと思うけど、生き甲斐だし、酸素だし、音楽のことを考えない日はなかった。

 高専の時はメンバーが乗り気じゃない、作曲ができないと言って、外の箱でやる部員を羨ましく思ってたし、大学の時は二年しかない、大分じゃメタルコアは出来ないと言って、やっぱりライブハウスで頑張ってる人を羨ましく思ってた。俺にもチャンスがあればって。

 上京して、もしかしたら今までで一番忙しいかもしれないけれど、もう環境のせいにはできないので、いい加減言い訳するのはやめようと思います。俺は音楽を聴くだけでは満足できないので。

 ありがたいことに、一緒にやってもいいよと言ってくれる人が集まってくれて、技術はまだまだだけど、メロディやフレーズなんかも思い付いたりして、いままでやって来たことは全然ムダじゃないんだなと思う。

 いまワンコーラスできてる曲が三曲あります。八月頭に、初めてメンバーとスタジオに入る予定で、どうなるかなんてわからないけど、俺だけじゃ思い付かなかった構成なんかが出来たりして、ちゃんと曲になって、コロナがどうなるかわからないけど、秋頃にはライブが出来れば嬉しい。

 

 本気でバンドマンを目指そうと思ったこともあったけど、俺はやっぱり凡人なので、プライドや常識みたいなもんが邪魔をして、大学を卒業して、少しは勤め先が見つかりそうな服飾をやったりしてる。デザイナーになりたいならどのみち大きな賭けであることには違いないけれど。

 でも全然、音楽を諦めてしまったわけじゃなくて、むしろずっと音楽は好きで、最近ちょっと自分が伸びてきてるのも実感したりして、歌も作曲も作詞もまだまだだけど、嬉しい。一人でショボい音でフレーズ作って、出来た! っていってメンバーに聞かせたりしている。

 俺は欲張りなので、結局音楽も諦められない。だから全部やろうとしてる。服も音楽も、他のことも。服が届かない人には音楽を、音楽が届かない人には服が届いて、そこに込めた意志みたいなものを伝えたいと思う。人を変えることは簡単じゃないけれど、俺にも出来ることがあるかもしれないと思ったので。

 服も音楽も届かない人には何が届くだろうか。わからないけど、積み上げてきた二十二年分の何かと、ここから先積み上げていく何かをぶつけたい。人生一回なので。やりたいことは全部やって死にたい。後悔しないように生きるって月並みな表現で、口にする人は多いけど、実行できる人は少ないような気がする。

 明日死ぬつもりで生きるっていうと、出来ることやしたいことが限られてしまうので、僕は一ヶ月後、死んだとしても後悔しないように生きていきたい。

 だから音楽を作ります

沈み行く太陽を見ていた

茹だるような炎天下

揺らめく陽炎と 蜃気楼の水

走っても走っても追い付けない

僕らはそれを理想と呼んだ

 

冷めたような既視感

喚くヒグラシと 終息する夏

走っても走っても逃げ切れない

僕らはそれを虚像と見なした

感情に身を任せることは人間的か否か

 感情と理屈が相反したときに、理屈の方が正しいのならそちらに感情を沿わせられるようになりたいといった旨のツイートをしたら、それは人間的じゃなくない? と言われてしまった。一理あるような気がしてよくわからなくなりそうだったので、考えをまとめることにする。

 

本能を理性の制御下に置いてこその人間である

 これは度々このブログでも触れているテーマで、僕が日々いきる上である程度の指針にしていることだ。人間は他の動物とは違うという自意識があるのならば、それ相応の振る舞いをすべきであるという、つまりはノブレス・オブリージュ。高貴なる者には責務が付随してしかるべきだと考えている。

 基本的には僕はそれにしたがって生きているし、感情と自らを律するべく強いたルールが解離することはあまりない。

 ただ、それはそれとして、自らの行動を変化させるほどの感情は伴わなくても、こうありたい。という願望から逸れた種類の感情を抱くことは稀にではあるが、ある。

 それすらも厭だという話。

 

行動は制御可能だが感情は制御不可能

 つまりは嫉妬や羨望、怒りや諦観と言った主にマイナスの感情。そこまでいかなくともなんだかモヤモヤすると言った程度でもいい。勿論然るべきときには抱いて当然の感情であるとおもうし、それ自体を否定することはないし、勿論クリエイション的には大いに肯定していきたい。

 しかし、僕自身が理屈で納得している出来事に対して、心のどこかで「でもなぁ…」という風に思ってしまうのをやめたいのだ。行動に移すわけでもない胸中の蟠り。それを音楽でも服でもに流用出来ればいいのかもしれないが、そもそも持つべきではない感情だと自分が嫌になる。

 本能に基づく行動は制御することは人間として可能でも、本能に付随する感情までは制御出来ない。納得して、前に進んだはずでもたまに立ち止まって反芻してしまう。感情が感傷へと風化するのを待てばいいだけなのだが、そのとき抱いた感情ではなく、反芻している自分自身に嫌気が差す。

 でもまぁ、それが人間であるということなのかもしれない。